2018年12月27日木曜日

耳を澄ませば








淹れたての珈琲を味わいながらキッチンの窓から庭をぼんやりとみていると、松の木の根元に、猫を認める。氷点下とあっては、流石の猫も遊びに来ないと思っていたが、午後の陽射しを求めてさまよい出たのか。よく見ると、初めて見かけた猫と思われる。小ぶりで、黒猫と言っても良い程だが、ところどころ白が混じっている。よく見かける近所の猫たちは、いずれもむしろ逆の白色基調。こちらを窺いつつも、気持ちは別にあるようで、何かに熱中している。一体何をしているのか。よくよく目を凝らして見てみると、どうやら何かをしきりに舐めている。いや、齧っているといった方が正解だろうか。思わず、ぎょっとしてしまう。

常緑樹とはいえ真冬の最中。松は幹や枝に辛うじて葉がついているが、すかすかである。だからなのか。木には、いやにピーやカケスの姿が目立つ。いかにも、小猫の様子をじっと見守っているかに思われる。いや、むしろ殺気立っており、小猫の仕留めた獲物のお下がりを今か今かと待ち望んでいて、隙あらば、かっさらおうとの勢いにさえ思われる。
小猫はひとしきり齧る行為を続けていたが、人心地ついたのか(ここでは猫心地だろうか)、ゆっくりと試すように、その場を離れた。その歩くさまを見ると、どうもびっこをひいている。片足を怪我しているのだろか。獲物の取り合いをした結果なのか、獲物獲得時の結果なのか、或いは、もともと足が悪いのか、分かり兼ねた。ただ、齧っていたものが、白く、どうやら鳥類の胸骨のような形をしていることが見て取れた。大きさからも、鶏ではなく、七面鳥に思われた。

ひょっとしたら、飼い主がノエルのパーティーでの料理のおすそ分けをしたのだろうか。それなら、我が家で大威張りで食するに違いない。もしかするとその家は数匹の猫を飼っていて、猛喧嘩の末、勝ち取った勝利品をこっそりと静かに一人で味わっていたのかもしれない。或いは、可愛い猫の喉に骨でも刺さってはいけないと、飼い主がむしゃぶりついている骨を取り上げたところ、さっとさらってきたのかもしれない。いずれにしても、我が家の庭で死闘が繰り広げられたわけではなかったことに、ほっとする。
気が付くと、さっきまでじっと見守っていたピーやカケスたちの姿は見えなくなっていた。そして、小猫はゆっくりとご馳走の場所までびっこをひきずり戻って、またしゃぶり始めた。

夕方、所用からから戻って庭を見ると、松の木の下には小猫も骨も残っておらず、枝を見上げてもピーもカケスもいなくなっていて、ひっそりと夜の帳が下りるだけとなっていた。





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2018年12月23日日曜日

約束






会う約束をしていた。

どうやら約束の時間を大幅に遅れそうな相手に、難しいならば別の機会にしようと提案。既に車で向かっているとのことで、それならばと待つことにする。丁度ガソリンも車に入れねばらない。なんだったら、買い物でもしていようか。

その後メッセージが入ったようなので、車にガソリンを満タンに入れた後、確認。
最近は、のんびりをモットーとしているので、受信したメッセージに対し電光石火の如く、即確認し、即返事をする癖をなんとか直そうと努力中。

と、『事故に遭った』との一言に凍り付いてしまう。
本人による過失なのか。或いは、目の前で生じて、交通渋滞に巻き込まれているのか。

慌てて電話をするが、ボイスメッセージとなってしまう。

できるだけ早く着こうとの思いが、事故につながったのではないか。こういう時は、最悪の状況ばかりを思ってしまう。メッセージが書けるのだから、大事ではないと良いが。

相手から電話が入る。雑音がひどい。本人による事故であることが分かり、怪我はしていない様子だが、それ以外は全く知らされず、電話が切れてしまう。事故は事故だろうが、救急車や警察を動員するような大事故ではないことが分かっただけでも、一安心。

ゆっくりとエンジンをスタートし、師走の街をのんびりとゆく。




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2018年12月18日火曜日

赤く染まる松







日中、街を歩く。
面白いように知った顔に会う。にこやかに挨拶し、立ち話をし、時にはちょこっとお茶でもとなる。
フレッシュなニュースをお互いに交換し合い、盛り上がり、別れる。

不思議なことに、誰も何故こんな時間に、そこに私がいるか、などと無粋なことは聞かない。相手にとっては、それ程関心ごとではないのだろう。
とどのつまりは、束縛するのも自分であり、解放するのも自分。
そう思ったら、またふっと気が楽になった。

二歩前進しては、一歩後退のペース。
いやいや、どんなペースでもいいではないか。

フランスにとって、悲願であったEU財政基準である財政赤字を国内総生産比3%以下にすることは、来年も厳しくなる様相を呈している。しかし、この『3%以内』は、何を根拠にしているのか。今やフランスの世論はそうなっている。

目標を掲げることは、非常に重要であり、目指さなければ到達しない。
それでも、のんびりと回り道をしても良いではないか。

庭では、松の枝葉が朝日に真っ赤に染まっている。






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2018年12月17日月曜日

冬晴れ








それは、突然訪れた。前触れもなく。

気が付いたら朝になっていた。

心の底から安堵の思いが広がっていく。

熟睡といかずとも、途中で睡眠を妨げられずに、一晩眠り通すことがもたらす効果が、こんなにも気持ちを穏やかにさせるものだとは知らなかった。

こうやって、自分を取り戻していくものなのかもしれない。

今朝はビスコットの豊かな香りが一段と心地よい。
にんまりと、冬晴れの空を眺める。






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2018年12月15日土曜日

氷結








ざくざくと森の中に歩み入れば、昨日と違う様子に立ち止まる。

ちょっと前までびっしりと敷き詰められていた黄金の絨毯が、すっかりと朽ち色になり、うらぶれた寂しささえ醸し出していたのに。

濡れそぼっていた葉に霜が降り、白化粧された絨毯に、木々の間から冬の太陽の光が差し込み、ところどころで輝きを放っている。
言葉にできない思いが昇華したかのように。





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2018年12月13日木曜日

冬日向






手がかじかむ程の寒さに、前かがみで足早に通りを進む。

橋の上には燦燦と冬の太陽の光が降り注いでいて、思いがけずの暖かさに、歩みを止める。

遠くに見えるエッフェル塔が一瞬ウィンクをしたように感じられ、これまで長い間忘れていた感情が心の奥から湧き上がってきたように思われた。

焦らずに、のんびりといこう。
ゆっくりと忘れていたものを取り戻そう。





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2018年12月12日水曜日

バースト








書きたい思いが募っているのに、時間がなくて苦しくもがく時期があり、
やがて、そんなことを考える余裕すらなくなる時期があり、
そして気が付くと、あらゆることに対して欲がなくなってしまっていた。

書きたい思いがすとんとなくなっていた。
書くことすら考えもつかなかった。
同じように、食べたいものが思いつかない。だから、料理ができない。
時間がたっぷり目の前にある。それなのに、やりたいことがない。
無欲。いや、無気力。

そんなことが、自分に降りかかるとは思いもしなかった。

一瞬にしてバースト。
しかも予兆もなく突然に。

厳密にいえば、本人が気がつかないだけで、周囲は分かっていたのだろう。

破片を拾いながら、途方に暮れること暫し。

タイヤと違って人間は、回復能力が凄まじいらしく、破裂した皮膚の下から弱弱しいながらも新しい皮膚が見え隠れし始めている。

ゆっくりといこうか。
ストイックであることがカッコイイなんて言っていないで。
こうして書き始めたことを、先ずは良しとしようか。




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2018年11月1日木曜日

思い込み







思い込みの激しさなら誰にも負けないだろう。勿論、決して威張れない話ではある。信じ込みやすいタイプだし、今思い出しても赤面するエピソードなら、枚挙に暇がない。

学生時代、忘れもしない、あの学食で、クラスの皆と午後の時間を持て余していた。何の変哲もない小さなブラシを手にした黒メガネのクラスメートが、その類稀な性能を説明し、特許を取る準備をしていると得意そうに話してくれる。無視をするのも悪いので、そこそこに聞きながら、隣のクラスメートに、これこれしかじか、この小さなブラシはスゴイ性能を持っていて、と、伝えたものの、何の反応も得られずに、却って戸惑ったことを覚えている。嗚呼、田舎から出てきた自称カントリーキッド。都会の学生達の話をいつも真剣に聞いてしまっていた。しかも、自分が馬鹿にされていたとは露知れず、それを他人にも伝えてしまう馬鹿さ加減。

そういえば、やはり学生時代、駅でよく美容関連のセールスの女性に捕まったものだった。無視をしては悪いと、これまた真剣に聞いてしまう。ある時、勧誘してくる女性が私の反応を見て、「あなたの心は本当に穢れていない。こんな化粧や美容マッサージなんて実はなんの役にも立たない。とにかく、朝、一杯のお水を飲むといい。応援しているわ。」そんな類のことを言って、別の歩行者に向かって行ってしまったことがある。

なんの疑いもなく、真剣に聞き入ってしまうので、却って気勢が削がれたのだろうか。

もちろん、その話以降、毎朝、一杯の水を飲み続けているといったら、笑われるだろうか。





そう、アイガー(Eiger)、メンヒ(Mönch)、ユングフラウ(Jungfrau)の3つの名峰、「ユングフラウ三山」。この三山をヴェンゲンの村から見渡せると思い込んでいた。こうして、クライネ・シャイデック(Kleine Sheidegg)まで歩いていく間に、この三山を目の前にし、感動に立ち竦んでしまっていても、一度宿に戻り、窓から見える山脈を見つつ、いったい、どの山がどの山なのだろうと、悩みに悩んでしまっていた。お笑い沙汰である。

漸く、宿から見える山はユングフラウであることに思い至ったのは、最後の日。それまでの悩みが、氷解した時の驚き。そして、自分の馬鹿さ加減への呆れ。まったくもって呆れ果ててしまう。ヴェンゲンの村からユングフラウを見ることができるとの文章を、勝手にどこかでユングフラウ三山と入れ替えて思い込んでしまっていたのだろう。

だから、謎が解けた今だから、写真を見ても、すぐに山の名前が出てくるが、実は撮影した当時は、分かっていなかった。しかし、名前を知らなくとも、この三山の壮麗さ。雄大さ。ただただ、畏敬の念をもって見惚れてしまう。







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2018年10月29日月曜日

アイガーと母






真正面にどんと立ちはだかる、その雄姿に、思わず跪いてしまう程の畏敬を覚えた。朝の太陽が燦燦と輝く方向に正しく聳えており、その姿を上手く写真に撮ることは叶わなかった。じっと見つめられているようで、怖い程であった。



 



メンリッヒェン(Mânnlichen)からクライネ・シャイデック(Kleine Sheidegg)まで歩いて行こうとする人々は少ないのか、先程ロープウェイで運ばれた人々はどこに散らばっていったのか、不思議な程だった。真っ青に晴れ渡った空に、牛の姿は非常にスイスらしいじゃないかとファインダーに収める。そうこうしているうちに、煙のような雲が一面に出てきて、目の前のアイガー様の姿が消えては、ふとしたことで雲の切れ目ができて、ぬっと現れてはまた消えた。


いつしかアイガー様と呼んでいる自分がおかしかった。一目ぼれ、と言っていいのかもしれない。胸の高鳴りを押さえつつ、アイガー様の姿が少しでも存在感に満ち満ちた様子で撮れないかと、カメラ(携帯)から手が離せられなかった。



 


写真撮影に現を抜かしている私を余所に、母は踏みしめるような足取りで、しっかりと前進していくのだった。牛が道端にいようが、霧で視界が真っ白になろうとも。しかし、同時に、母もアイガーの漲る威力に魅せられていることは見て取れた。





親の背を見て子は育つ。

バッタ達に対して、なかなか相手にしてあげられないことが多かっただけに、そう自分に言い聞かせて彼らを育ててきたところがある。今こうして、母の背を見つめながら歩いていると、その凛とした姿勢、毅然とした態度に、改めてこちらまで背筋を正してしまうほどである。

実は非常に奥の深い言葉であって、放っておいても子は育つが、それでも、親の姿を子はちゃんと見ているのである。その意味では、だらしのない背中をバッタ達に見せてしまっていたなと、今更ながら思う。反面教師、という言葉があるのが、救いといえば救いか。

そして、我が母親の背中と言えば、あまりに威厳があって、いつまでたっても母は母であり、越えられない存在であったなとしみじみ思うのであった。と、同時に、その背は余りに愛おしく、思っていた以上にほっそりとしており、慌てて追い掛けて隣に並ぶ。

母とアイガーの雄姿を愛でつつ、思いっ切り新鮮な空気を吸い込む。












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2018年10月27日土曜日

アイガーとの出会い







先ずは目の前のロープウェイを乗ってメンリッヒェン(Mânnlichen)に。そこからクライネ・シャイデック(Kleine Sheidegg)まで歩き、次に登山鉄道でユングフラウヨッホ(Jungfarujoch)展望台に行く、というものだった。帰りは、アイガーグレッチャー(Eigergletscher)からクライネ・シャイデックまで歩き、そこからまた登山鉄道でヴェンゲン(Wengen)に戻ってもいいし、余裕があれば、歩いて帰ってもいいと思っていた。






ロープウェイのキャビンの上にオープンデッキのバルコニーが設えてあり、そこからの眺望たるや、何もさえぎるものもなく、度胆を抜くものに違いあるまい。そう思って迷わずに追加料金を支払い、母をキャビンに残し、威勢よくキャビンの中から上のデッキに出る螺旋階段を上ってみると、そこは未だ誰もおらず、太陽も差していない冷たい朝の空気だけがあった。

しっかりと下調べをすることで、理解も深まり、より一層あらゆる角度で楽しめることもあるが、偶然の出会いこそが旅の醍醐味ではあるまいか。勉強不足を棚に上げるようだが、ヴェンゲン(Wengen)の村からロープウェイでメンリッヒェン(Mânnlichen)に行くことは、現地に着いて決めたことで、ロープウェイから一体何が見えるのか、ましてや、メンリッヒェンからの眺望など、実のところ、全く分かっていなかった。

オープンデッキから見える透明で真っ青な空に、ただ一人興奮していた。係員がくることもなく、何の前触れもなく、キャビンが動き出した。

ヴェンゲンの村には未だ朝の太陽が差し込んでいなかった。太陽に輝く氷河を抱いた山脈は、迫力を持って間近に見えるようだが、どうやらかなり遠くに連なっているようだった。目をどんどんと上って行く山あいに移すと、そこは東山魁夷の世界が広がっていた。

風景との出会い。「花は今、月を見上がる。月も花を見る。」
中学生の頃、この文章に打ちのめされ、すっかり参ってしまったことを覚えている。学校の授業で、白墨の粉にまみれ、教師によって解体されてしまう形で出会う文学や芸術論を、非常に敬遠し、胡散臭く思い始めた頃であった。それなのに、この一文の前で、従順にも平伏してしまう自分がいた。

凝縮した一瞬を画家はキャンバスに見事に描き出していた。以来、東山魁夷の作品には、畏敬の念を持ち続けている。特に静謐な山を描いた作品は心に残っている。その彼の世界が眼前に広がっていることに、心が震えた。

ケーブルカーはどんどんと上に上にと昇っていく。息をのむ程の神々しい眺望に、すっかりと参ってしまっていた。どうやら目的地のメンリッヒェンに着いたらしく、何の前触れもなくケーブルカーは止まった。アナウンスがなくても、何ら支障がないことを今更ながら知らされる。誰もが足元に気を付けてキャビンを下りる。キャビンでこれまた大いに眺望を楽しんだという母と、さてクライネ・シャイデック(Kleine Sheidegg)は、どの方角かと言いながら歩き始めた途端、ぬっと、思いもしない存在感で、目の前に山が立ちはだかっていて、正に度肝を抜かれてしまった。

それが、我々とアイガー(Eiger)との出会いであった。






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ヴェンゲンの朝







がばっと起き上がると、分厚いカーテンを開けて外を覗き込む。果たして、あれだけ分厚い雲が嘘のように晴れ上がり、天空は今まさに夜が明けようとしていた。






山の端が薄っすらと青みがかってくると、目の前に立ちはだかる山頂が朝日に焼け始めた。瞬く間に他の峰も先端が焼け始め、次第に空の色に青みが増していった。そして、あっと言う間に真っ白な雪と氷河を抱いた荘厳なる山脈が真っ青な空を背景に姿を現した。




手元の地図と照らし合わせる。

アイガー(Eiger)、メンヒ(Mönch)、ユングフラウ(Jungfrau)の3つの名峰、「ユングフラウ三山」。

一体、目の前に広がる壮大な山々のどれがどの山なのだろうか。






いや、名前などこの際些細なこと。

いやいや、そうだろうか。この時に、もう少し自分の思い込みの激しい性格を自覚し、しっかりと調べ直していたら、理解も深まっただろうのに。ヴェンゲンの村からはユングフラウ三山が見渡せると思い込んでしまっていたので、そして、母も私の話を聞いてそうなのだと思ってしまっていたので、地図と目の前の山並みがどうしても一致せずに、解けない数学の問題を抱えた不消化感を覚え始めていたのも事実。

それでも、取り敢えずは素晴らしく晴れ渡った山登り日和の今日一日を如何に楽しもうかと、前日検討していたトレッキングコースを母に披露し、相談する。

先ずは目の前のロープウェイを乗ってメンリッヒェン(Mânnlichen)に。そこからクライネ・シャイデック(Kleine Sheidegg)まで歩き、次に登山鉄道でユングフラウヨッホ(Jungfarujoch)展望台に行く、というものだった。帰りは、アイガーグレッチャー(Eigergletscher)からクライネ・シャイデックまで歩き、そこからまた登山鉄道でヴェンゲン(Wengen)に戻ってもいいし、余裕があれば、歩いて帰ってもいいと思っていた。

二つ返事で了承を得ると、腹ごしらえに早速朝食をとりに階下のレストランに向かった。大きなガラス窓からは、雄大な山並みが見晴らせ、爽快な朝のスタートとなった。朝の珈琲を愉しみながら、静かに微笑む向かいに座る母の姿に、自然と笑みが広がる。






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2018年10月24日水曜日

期待と現実の間








翌日、後ろ髪を引かれるようにしてホテルを出てツェルマット村まで登山鉄道に乗った。相変わらず無茶なてんこ盛りプランを密かに温めていたが、お天気は今一つであったし、今回は小さいとは言えスーツケースを引っ張り、リュックを背負っての移動だったこともあり、また、落ち着いてきたとは言え、未だ腫れぼったい母の鼻の様子からも、すんなりと引っ込めてしまっていた。

ツェルマットからインターラーケン(Interlaken)に行くまでに、カンデルシュテーク(Kandersteg)で途中下車し、アルプスの宝石と言われているエッシネン湖(Oeschinensee)に立ち寄ってみたいと思っていたが、その楽しみは次回に譲ることにした。

インターラーケンはその名が示す通り湖の中間地点であり、トゥーン湖(Thunersee)とブリエンツ湖(Brienzersee)の間に位置していることを地図で確かめていたので、そこでお昼でもと思っていたが、生憎の土砂降りだった。雨だったからか、インターラーケン・オスト駅前は、これまでの旅心を誘うような魅力を放っておらず、どうしても知らない街に繰り出したい、との思いが湧き起こらなかった。それは母も同じだったようで、キオスクでサンドイッチとビスケットを買って、電車で食べることにした。

雨模様であれば、さっさと目的地のヴェンゲン(Wengen)に行ってホテルにチェックインしてしまおうとなった。インターラーケン・オストからラウターブルンネン(Leuterbrunnenn)まで行き、そこで乗り換えてヴェンゲンまで。駅からホテルはそう遠くもなさそうだったが、腕が未だ本調子ではない母を荷物を背負って歩かせたくはなかった。駅ではホテルの送迎車に来てもらうことになっていた。

ユングフラウ(Jungfrau)地方を旅するにあたり、拠点をどこにするかで、かなり悩んだ。グリンデルワルト(Grindelwald)にしようかと思ったが、色々とネットで検索しているうちに、アイガー(Eiger)、メンヒ(Mönch)、ユングフラウ(Jungfrau)の3つの名峰、「ユングフラウ三山」の壮大な姿を一度に仰げる場所として、ヴェンゲンに両親を連れて行ったという女性の旅行記を目にし、ヴェンゲンに決めた。

場所が決まるとホテルも決めやすかったが、正直なところ、マッターホルンの雄大な景観を楽しめるリゾートこそ時間を掛けて調べて決めたが、他はそこそこの予算に抑え、清潔であれば問題なしとの姿勢にあった。それでも、3泊するヴェンゲンのホテルは、口コミ評価も幾つか調べ、値段も、リッフェルアルプ程ではないにしろ、背伸びをしたものではあった。







ヴェンゲンの村は雨こそ降ってはいなかったが、すっぽりと雲に覆われており、一体、どこに壮大なユングフラウ三山を望めるのだろうかと、不安と期待に入り混じった思いで、分厚い雲の層を仰いだ。

ホテルは、リッフェルアルプのリゾートに比べ、明らかにグレードダウンとなり、通された部屋はこれまた到って簡素で小さかった。ネットで見ていた画像との乖離に戸惑ってしまった。家具やベッドはウッド基調だったが、虫食いの跡が明らかに安物を感じさせた。綺麗好きな母に至っては、部屋をティッシュで拭き掃除し、蜘蛛の巣を取り払ったと嬉しそうというか、やや自嘲気味にしている。正直、がっかりしてしまっていた。

慌てて既に支払い済みの部屋の値段を確認するが、パリのちょっとしたホテルのツインの値段は優にしている。ここがリゾート地だからなのだろうか。申し訳ない程度のテラスに面していたが、そこからの眺めは曇天ですっかりさえぎられていたし、目の前のミニゴルフ場では、幼い子供たちの賑やかな声がうるさく響いた。

こんな筈ではなかったのに。

悲しくなりそうな気持を振るい立て、とにかく部屋にいても気分が落ち込むだけなので、外に出ようと母を散歩に誘う。村をぐるりとしてみよう。レストランを覗いて、夕食の場所を決めよう。







ぐるりと歩いてから、素晴らしい眺望の高台を見つけた。どうやらリゾートの開け放たれた庭らしく、そこで珈琲でも、となった。ホテルのカフェ・バーに入り、珈琲二つを注文すると、バーマンが非常に申し訳なさそうに、これはゲストのウェルカムドリンクなので、宿泊客以外の方にはサービスできないと教えてくれた。お金を払うので、と言っても、ゲストオンリーと断られてしまう。そうか。このリゾートを予約すれば良かったとの思いが高まる。既に宿泊代は払ってしまっていたが、つまらない思いをして3泊するより、思い切って新たにここを予約しようかと思ってしまう。そう思い込むと行動が早い私を、母が引き留める。次があるじゃないの、と。

そうして、我々の宿であるホテルに戻り、そこのレストランで夕食をとることにする。ところが、早く予約をしていなかったので、満席だと言われてしまう。なんてこと。そこに支配人が現れ、早目のディナであれば、テーブルをちょっと作れば良いので問題ないと笑顔で対応してくれた。

リッフェルアルプがあまりにリゾートとして完璧であったのだろう。落差に馴染めずに、せっかく母を驚かせ、喜ばせようとしている旅なのに、すっかりしょげてしまっている私を見て、逆に母が元気になった。

いつもは煩い母なのに、俄かにできたテーブルの場所も問題ないと笑顔で答えている。そして、選んだ夕食が大当たり。地元の素材を生かした野菜に、こんがりとローストされたポークを口にし、母が大喜び。目の色が変わり、ここは素晴らしいと称賛し始める。

嬉しそうな母を見て、単純な私はすっかりと気持ちがほぐれ、漸くゆっくりと楽しめるようになった。夕食後、部屋の窓から外を覗くが、やはり厚い雲に覆われている。さあ、明日はユングフラウ三山が拝めるのであろうか。

翌日の山歩きのコースを地図やガイドブックで下調べ、少しだけリッフェルアルプのホテルを懐かしく思いながらも、その夜はぐっすりと寝入ってしまった。






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2018年10月22日月曜日

マッターホルンの麓での昼下がり








ホテルは悪天候で足止めを食らってしまった旅人の為、のんびりとした時間を過ごしたい人の為の設備も十分備えていた。マッターホルンを眺めながら泳ぐ屋外プール、しっかりと泳ぎ込みたい人の為の室内プール、そして、ジェットバス、ハマン、高温サウナに低温サウナ。







前日にチェックしていたが、ジェットバスやハマン、サウナは水着の着用はなしだった。20代の頃、バーデンバーデンのサウナに行って、男女混合にも関わらず、皆生まれた時の姿を惜しみなく晒してのんびりとしている光景に唖然としたことを思い出す。郷に入っては郷に従え、の教訓を実地に活かしていたものの、流石に男性の一物が目に入った時には回れ右をしてしまっていた。


今はそんなことぐらいで驚きもしないが、母が嫌がるであろうことは聞くまでもないことであった。しかし、前日の様子であれば、そして、午後の早い時間であれば、施設はほぼ無人状態。貸し切りになるであろうと踏んでいた。そして、神は我々に味方をした。いや、きっと、これもご先祖様のご加護なのであろう。

たっぷりとゴージャスな空間を二人だけで楽しむことができた。

ジェットバスで疲れた身体を心地よくマッサージされ、私は夢心地になっていたし、母は痺れている腕や、転んで打った脚をジェットでマッサージされ、リラックスしているようだった。ハマンでは、スチーム効果でじっくりと骨の髄まで温まり、サウナでは、ふつふつと噴き出る汗とともに疲れまでもが流れ出て行ってしまうようだった。

シャワーを浴びてガウンを纏い、サンデッキに出ると、マッターホルンの姿が眩しく目に入った。







翌日には新たな目的地に向けて旅発つことを思うと、ゴージャスな部屋に未練を感じ、もう少しここでゆっくりしたいと願い、今回の旅の云わばクライマックスを既に見てしまったことに対し、寂しさも感じた。母の怪我が精神的にも肉体的にも随分と早く回復したのは、ひとえに、このホテルの快適さと窓から覗くマッターホルンの姿のお蔭に他ならなかった。








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2018年10月14日日曜日

マッターホルンの湧水







リッフェルアルプ(Riffelalp)からグリュンゼー(Grünsee)までの道のりはマラソンコースにでもなるのだろうか。山あいながらもしっかりと整備されていて、ハイキングコースとしては大きなアップダウンもなく、初心者向けだろうか。標高の高さがそうさせるのか、小動物を一切見かけないし、蝉の鳴き声はおろか、小鳥の囀りさえも聞こえなかった。ひっそり閑としている。母の歌声と私達二人の足音しか聞こえない。






灰褐色の大きな岩が瓦礫の中にあちこちに散乱していて、マッターホルンのピラミッド型の斜面の岩肌を思いこさせた。マッターホルンの登頂に挑むのではなく、マッターホルンの存在を五感で感じつつ、散策することに、静かな喜びを覚えた。




ツェルマット村に流れていた川は、雪や氷河の溶けた水に一緒に岩石の粒も溶け込んでいるらしく白濁しており、ものすごい水量と勢いで流れていたことを思い出した。実は、清冽な水を思い描いていただけに、白濁していることに、最初はぎょっとしたが、不純物の混入によるものではないことに思い至ると、逆にその流れが如何にも大自然の象徴のように思えた。





どのぐらい歩いただろうか。水の流れる音が聞こえてきて、沢が近くにあることを知らされた。突然にして、目の前をこれこそ清水と言いたくなる透明な湧水が流れている。母はさっそく手を入れ、その清らかな水を口に含ませる姿勢を見せたので、思わずそれを制止してしまった。20代の頃に、アジア諸国で水にあたり、肝炎になったことや、サルモネラ菌に侵され、苦しんだことを思い出したからである。

地元の山に登り、湧水が流れていれば、口にすることが習慣になっている母は、大層残念がっていた。前日のハプニングもあったことで、母を守らねばとの思いが強く出てしまったのだろう。確かに目の前の清らかな流れがサルモネラ菌に侵されているとは考えにくく、母が従来から山では湧水を口にしているのであれば、たとえ初めての土地とはいえ、マッターホルンの湧水を口にしても、問題ないのではないか、との思いが過った。

こんな人里離れた山奥で流れている湧水が、一体何に侵されているのか。

私の自問に答えを見たのか、母は意を決して水の流れに手を入れる。そうして、一口。ああ冷たくて美味しい。

こうなると、この親にしててこの子なり。これまでの躊躇など嘘のように、跪き、水の流れに手を入れた。歩いて火照った身体に水の冷たさは心地よく、口にしてみた水は清らかだった。

ああ、美味しい。

そう、腰に手を当てて、ひとごこちしたところで、ふと視界に何かが入る。じっくりと見てみると、どうやら人家らしい。驚いた私の様子に、母もその人家に気が付き、今度は大笑い。人里離れた山奥だからと、ああ、おいしい、と湧水をいただいていたところ、実は、すぐそばには人が住んでいるとは!その家から、誰かが我々の様子を目にしていたら、どんなに滑稽なことだったろう。涙が出る程笑い続けた。あまりに歩いてからの道すがら静かだったので、相当な山奥に来ているものと錯覚してしまったのだろう。

そこはグリュンゼーにあるロッジだった。




ロッジでハーブティーをいただき、一服する。恐らくあのあたりがマッターホルンが聳え立っているんだろうと分かる程度で、空は厚い雲が立ち込めていた。

そこからは、どんどんと谷底に下りていくような道が続き、白濁色で流れも急な川を渡ると、上り坂が続いた。ライゼー(Leisee)に着いた頃には小雨が降り始め、スネガ(Sunnegga)では土砂降りになり始めた。ツェルマット村まで急勾配の地下ケーブルカーに乗り、暫く降り続けそうな雨の中、最寄りのパン屋兼カフェに入り込む。

こうして、雨にも大して降られることなく、半日のハイキングコースは無事完了。午後はホテルに戻り、プールやジャグジー、ハマン、サウナを楽しむ予定にしていた。マッターホルンの湧水が体中にめぐり始めたのだろうか。身も心も充実感で満たされていた。









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